鎌倉彫一陽会のご紹介

三橋式彫の正統派

鎌倉彫は長い歴史に培われた鎌倉の伝統工芸で、木彫漆塗りの優雅な伝統工芸品です。
当会は、代々受け継がれてきた三橋彫を特色とし、優雅でかつ繊細な彫り、そして写実的な表現が特長です。
共通の趣味を持つという輪の中で、東京を中心に神奈川、埼玉、千葉、北関東、広島など現在300余名(30教室)の会員の方々が作品作りを楽しんでいます。

当会では主に三橋彫を組み込んだカリキュラムに沿って鎌倉彫に親しみながら、伝統美溢れる作品を創り出していただくよう懇切丁寧に指導しております。

機械化された今の時代ですが、世界に一つしかない心を込めた作品で心豊かに楽しんでいます。
また、免許制度を導入しており、指導者(専任教授)への道も開かれており、専門の勉強をし、多くの指導者を輩出し、広く活動しております。

三橋式彫りについて - 三橋家三代について

明治から大正にかけて仏師の中心的家系である26世三橋鎌山(けんざん)とその長男27世鎌岳(けんがく)により考案された独特の彫り様式で、三橋式彫りの基礎をつくりました。その特長は繊細で緻密な文様を独特の深彫りで生かした重厚な味わいのある表現です。この深彫り、重ね彫りの特色を生かすために際立った角を被う塗りを完成し「七色塗り」と云われる堆烏(ついう)堆紅(ついこう)、堆青(ついせい)、堆金(ついきん)、弁柄(べんがら)、色絵(いろえ)、堪慶(たんけい)塗りを考案しました。

三橋鎌岳 作「牡丹文喰籠」

鎌山は明治中頃、後藤斎宮(いつき)と共に近代鎌倉彫の基礎を築いた人で、近代鎌倉彫中興の祖と云われています。
当時、有栖川宮家やその他財界人等の愛好家の後援により一品制作と云う形を取り続けてきました。
特に有栖川宮威仁(たけひと)親王は鎌倉彫に深い関心を寄せられ鎌山に数々の作品の制作を依頼されました。
特にご注文品の中で鎌山が創案した菊花文様を親王にあやかって有栖川菊と名付けました。又、親王は鎌山の指導のもとに肉池(にくち)、香盒(こうごう)、御茶盆等を自ら手掛けられました。
有栖川宮威仁親王はいわばアマチュア第1号と言ったところだったのではないでしょうか。まさに鎌山は今日盛んな鎌倉彫教授の先駆けの人でもありました。

了和 作「四君子文阿古陀形茶入れ」

その長男27世鎌岳は、京都時代茶道の世界に入り、表千家のお好みの茶道具を製作し、50歳の時、大徳寺の丸山伝衣(まるやま でんね)老師から了和(りょうわ)という号と花押を戴き、以後了和と名乗っています。抜群のセンスで数々の名作を残し、その中には数多くの惺斎(せいさい)宗匠好みがあります。

鎌山(央)作「炎飾盆」

鎌岳の長男、28世三橋鎌山(本名、央)は祖父の鎌山と号を同じくし、昭和鎌山とも呼ばれています。
若い頃は父鎌岳の作風を引き継いでいましたが後半から斬新で新感覚の作風を打ち出しました。